山崎育三郎の“核”を作ったミュージカル3作 「誰よりも『レ・ミゼラブル』が好きなだけだった」

山崎育三郎

幼稚園の頃に観た『アニー』に感動し、12歳でミュージカルの道へ足を踏み入れた山崎育三郎さん。“オタク”を自認するほどの『レ・ミゼラブル』ファンだった山崎さんは、21歳当時、世界最年少で念願のマリウス役を射止め、2年後には23歳の若さで『モーツァルト!』主演に抜てきされ、初めて帝国劇場のセンターに立ちました。“ミュージカル界のプリンス”の核を作った作品、役柄をお聞きし、改めてミュージカルの魅力を深堀りします。

※ミュージカル作品の内容に触れる描写がありますのでご注意ください

撮影:田中達晃/Pash 取材・文:大原 薫
記事制作:オリコンNewS

12歳からミュージカルの道へ 初舞台は「全身鳥肌が立つくらい感動」

山崎育三郎

――山崎さんが初めてミュージカルに触れた作品と、そのときの思い出を教えてください。

最初に触れたのは『アニー』。幼稚園くらいのときだったかな。母が4兄弟(育三郎さんは三男)を連れて青山劇場に行くのが毎年恒例になっていたんです。僕はとにかく人見知りだったので、自分と同世代の子役たちが舞台上でキラキラ輝いている姿がうらやましいと思っていたことを覚えていますね。「自分はいつも母の後ろに隠れているのに、悔しい」って。

CDを買ってもらって、家に帰っても繰り返し聴きました。『トゥモロー』『メイビー』の後にカラオケが入っていたので、それに合わせて歌っているのを聴いた母親が「いい声だし、音程もしっかりしてる。歌うことで自信がつくなら習わせてみようかな」と思ったそうで、近所の歌の教室に連れていってくれたんです。

山崎育三郎

――山崎さんの著書『シラナイヨ』によると、歌の先生の勧めがきっかけで、小椋佳さんが企画するアルゴミュージカル(キャストのほとんどが子どものミュージカル)のオーディションを小学6年生のときに受けて合格し、中学1年生のときに『フラワー』で主役デビューされたとのことですね。

まさか受かると思っていなくて、本当にダメ元で受けたんです。ダンスもやったことなかったし、一緒に出ている子役たちの中でも自分が一番できなかった。でも、稽古が半年くらいあって、子どもなので吸収も早かったから、初日までにはある程度形になっていたんじゃないかな。アートスフィア(現・天王洲 銀河劇場)で初日を迎えたとき、全身鳥肌が立つくらい感動しました。将来もミュージカルをやっていきたいと思った瞬間でしたね。

山崎育三郎

――この8月、東宝ミュージカルの歴史をたどり、未来につなげるスペシャルなコンサート『THE MUSICAL CONCERT at IMPERIAL THEATRE』(8月14~25日、帝国劇場)で、山崎さんは名だたるミュージカルスターが出演する中で司会を務め、その存在の大きさをひときわ印象付けました。このコンサートで音楽監督・指揮を務めたのが、アルゴミュージカルで作編曲を担当されていた甲斐正人さんでしたが、帝劇でのスペシャルコンサートで再会された心境はいかがでしたか?

感動的でしたね。甲斐先生は僕が『フラワー』でデビューしたとき、オーディションで選んでくれた先生でもあるんです。2020年に同じステージでご一緒できて、とても感慨深かったです。

山崎育三郎

――幼少期は野球選手になる夢も持っていたそうですが、ミュージカルの道を選んだときに迷いはありませんでしたか?

野球は6年間やっていたのですが、アルゴミュージカルのオーディションを受けたのが小学校6年生のとき。野球の監督からどちらかにするように言われて、そのときはもうオーディションに受かって出演が決まっていたので、野球はやめざるを得なかったんです。野球も全国大会でベスト8になるくらい本気でやっていたので、両方やるというわけにはいかなくて。

子どもの頃に出会ったミュージカルスターのお兄さんたちはとても優しくて、一緒にお茶に行ったときも、将来ミュージカル俳優になるためにはどうしたらいいか、親身になってアドバイスしてくれました。その環境がうれしかったですね。

山崎育三郎

当時、ミュージカルに出演するには、「女の子なら宝塚に入る、男子なら劇団四季に入る」という方法しか知らなくて、自分ではどうしたらいいかわからなかった。そんな中で、大人のミュージカル俳優の皆さんの助言や支えがとてもありがたかったです。

だから今、子役と共演するときはなるべくコミュニケーションを取って、話をするようにしています。結構相談されるのが、変声期のこと。子どもの頃はボーイソプラノできれいに歌えていたのに、声変わりして自分の頭で思い描いていたのと違う声が出てくる。僕も本当にショックだったし、自信が消えて歌えなくなった時期があったんです。

子役のお母さんたちからもよく「育三郎さんは変声期をどう過ごされたんですか」と相談されますが、自分の経験から「無理をしないこと」とアドバイスします。僕は変声期のタイミングでクラシックに出会ったので、勉強する期間に充てました。

山崎育三郎の“核”を作ったミュージカル3作

                              

すべての始まり。選ばれなかったら、違う人生だった――『レ・ミゼラブル』マリウス役

山崎育三郎

――これまで数多くのミュージカルに出演し、ミュージカル界に大きな貢献を果たしている山崎さんの“核”を作った3作品を教えてください。まず1作品目から。

『レ・ミゼラブル』ですね。最初に出会ったのは、子役のとき。「『レ・ミゼラブル』を聴いているとカッコいい」というイメージがあったので、子役はみんな聴いていたんです(笑)。当時、鹿賀丈史さんがジャン・バルジャンを演じているバージョンのCDが5000円くらいだったんですが、なんとか親にお願いして買ってもらいました。

『レ・ミゼラブル』

フランス文学の巨匠ヴィクトル・ユゴーが自身の体験を基に、19世紀初頭のフランスの動乱期を舞台に当時の社会情勢や民衆の生活を克明に描いた小説が原作。パンを盗んだ罪で19年間投獄されていたジャン・バルジャンは、仮出獄を言い渡される。世間の冷たさに心は荒み、銀の食器を盗んで逃げようとするが、司教に人としてのあり方を諭され、過去を捨て新しい人生を生きようと決める。1985年のロンドン初演を皮切りに、日本では1987年6月に帝国劇場で初演。全世界で興行収入記録を更新し続けるミュージカルの金字塔。

                              

「Shows at Homeプロジェクト」としてミュージカル俳優が参加し配信された『民衆の歌』(『レ・ミゼラブル』より)

毎日CDを聴く中で、マリウスという役を知りました。僕が大好きなディズニー・アニメーションの『アラジン』でアラジンの声を担当していた石井一孝さんがマリウス役だったので、注目して聴いていくうちに「いつかマリウス役をやりたい」と中学生の頃から思うようになりました。

自分がマリウスをやりたい一心で、東京音楽大学1年生のとき、声楽科の仲間15人くらいを集めて『レ・ミゼラブル』の自主公演をやりました。仲間たちはオペラ歌手を目指していて『レ・ミゼラブル』を見たことがなく、知識があるのは僕だけだったので、配役や演出も担当して1年かけて稽古しました。衣装、大道具、小道具も全部手作りで、1人3万か5万円ずつ出して上演したんです。大学生にしては相当な金額ですよね。

その自主公演本番の直前、僕は帝国劇場の『レ・ミゼラブル』のオーディションに合格してマリウス役が決まりました。合格したことは解禁日まで誰にも言ってはいけないというルールがあるんですが、今まで1年間一緒に頑張ってきた仲間には言わずにはいられなくて。報告したらみんな、泣いて喜んでくれました。そのときの仲間は翌年、帝劇まで僕のマリウスを観にきてくれたんです。

――まさに、夢をかなえた瞬間ですね。

ミュージカル俳優にとっての『レ・ミゼラブル』は、歌手の方にとっての日本武道館公演やNHK紅白歌合戦のようなものです。だから、「いつか」という思いがありました。

『レ・ミゼラブル』は僕の子どもの頃からの夢であり、大人になってのデビュー作。21歳でマリウス役で出演したことは今思い返しても大きな出来事で、そこがすべての始まりですね。オーディションでマリウス役に選ばれなかったら、違う人生だったと思います。

山崎育三郎

――全キャストがオーディションで選ばれるのが『レ・ミゼラブル』ですが、当時のオーディションはどんなものだったのでしょうか?

書類審査から始まって、5次審査までありました。最終審査で、演出家のジョン・ケアードさんがロンドンからいらっしゃったんです。ジョンは『レ・ミゼラブル』のロンドン初演の演出をされて、作品の礎を築き上げた方です。ジョンの前で19歳の僕が歌えるという状況に震えるほど感動しました。

もともとは『カフェ・ソング』(マリウスが革命で散った仲間たちを思って歌う曲)だけを歌う予定だったんですが、ジョンが興味を持ってくれて「今から30分ほど時間をあげるから、別の曲の譜面を見て歌ってくれないか」と言われました。僕は『レ・ミゼラブル』オタクだったから、「譜面なんて要りません。今すぐ歌えます」と言って歌ったんです。「じゃあ次はこの曲」「次はこの曲」と続けて5曲ぐらい歌ったことが、マリウス役に選んでもらったことにつながったと思いますね。

山崎育三郎

――当時、オーディションを射止めるためにどんな努力をしていたのでしょうか。

いえ、努力はしていないです。好きなだけ。誰よりも『レ・ミゼラブル』が好きだというのは間違いなくて、「日本全国で僕より『レミゼ』が好きな人、出てこい! 絶対一人もいないだろう」と思っていた。受かった理由はそれだけです。努力とかじゃなくて、とにかく『レ・ミゼラブル』が好き。(上演時間の)3時間、一人で全曲、譜面を見ないで歌えますからね。歌いたいし、好きだし、やりたかった。それがジョンに伝わったんだと思います。

長年ファンだった方たちの前で歌うのがドキドキでした

山崎育三郎

――『レ・ミゼラブル』で山崎さんが演じたのは、貧しい人々のために革命を志す青年マリウス。バルジャンが養女として育てた娘コゼットと恋に落ちるという役どころです。山崎さんが初めて演じたときは、マリウスを演じる俳優として当時の世界最年少(21歳)で、これが大人の俳優としてのデビュー作となりました。実際演じてみていかがでしたか?

稽古場では緊張しましたね。ジャン・バルジャン役の山口祐一郎さん、今井清隆さん、別所哲也さん、橋本さとしさんをはじめ、自分が小さい頃から見ていたミュージカル界のスーパースターが並んで座っている目の前で、一人で歌わなければいけないんです。帝劇で初日を迎えるより緊張したかもしれない。プレッシャーというより、自分が長年ファンだった方たちの前で歌うのがドキドキでした。

マリウス役はクワトロキャストで、僕以外に3人が同じ役を演じるんです。自分以外みんな先輩で、そんな方たちと比べられる怖さがありましたが、そもそも俳優というのは人と比べられる仕事。今もそうですから、最初にそういう経験ができたことはよかったなと思いました。

それに、演出のジョンが「他のマリウス役の人の演技は見なくていい。自分と向き合いなさい」と言ってくれたんです。その言葉が今も心の中に残っていますね。

山崎育三郎

――現在の『レ・ミゼラブル』はローレンス・コナーさんとジェームズ・パウエルさんによる新演出版で上演していますが、山崎さんの中では、ジョン・ケアードさんとの出会いが大きいのですね。

ジョン・ケアードさんがいなかったら、今の自分はないです。僕はジョンが作った旧演出で育って、それに憧れて『レ・ミゼラブル』に入ったので。実際に稽古に入ってからも、ジョンは魔法のように導いてくれる。自分が迷っていても「こういうふうにやってごらん」という彼の一言一言で、「ああ、こんな感情が生まれるんだ」というところまで連れていってくれるんです。本当に尊敬していますし、ずっと一緒にお仕事したい方です。

山崎育三郎

――山崎さんにとって、『レ・ミゼラブル』という作品で魅力に感じるところは?

音楽にも惹きつけられますが、僕はジャン・バルジャンのように生きていきたいなと思います。ジャン・バルジャンが僕の人生の教科書。一言で言うと、すべてを受け入れる人。自分と向かい合って、他人を受け入れるんです。

若いときから、ジャン・バルジャン役の台詞をいろいろな俳優さんで聞いて、目の前で芝居を受けてきたので、それが今も耳に残っているのかもしれません。「バルジャンだったら、こういうときどうするんだろう」と考えるんです。                                

今まで言われたことがないような、驚きの演出――『ミス・サイゴン』クリス役

山崎育三郎

――続いて、山崎さんの“核”を作ったミュージカル、2作品目は?

『ミス・サイゴン』です。

『ミス・サイゴン』

1970年代のベトナム戦争末期、陥落直前のサイゴン(現在のホー・チ・ミン市)。戦災孤児で清らかな心を持つ少女キムは、フランス系ベトナム人のエンジニアが経営するキャバレーでアメリカ兵クリスと出会い、恋に落ちる。お互いに永遠の愛を誓いながらも、サイゴン陥落の混乱の中、アメリカ兵救出のヘリコプターの轟音は無情にも二人を引き裂いていく。キムと離れ離れになったクリスはアメリカで再婚。その後サイゴンでキムと再会するが……。日本初演は1992年。                              

――『ミス・サイゴン』はベトナム戦争末期のサイゴンを舞台に、ベトナム人の少女キムと米兵クリスの愛と別離、運命的な再会を描く作品です。

日本版演出補のダレン・ヤップさんはジョン・ケアードさんに次いで、衝撃を受けた演出家でした。演出家でありながら、精神カウンセラーのようでもあって、みんなの心をケアしてくれるんです。

ダレンはいきなり「さあ、やって!」と稽古を始めることは一切ありません。19歳の若手も、長く出演していらっしゃる市村正親さんも、みんながフラットな立場で作品に挑む空気作りをしてくれるんです。

みんなが集まり、サークルになって手を握り合う。今からどういうシーンをやるのか、全員が穏やかな気持ちで同じところに向かうという意識を持ってから、稽古を始める。大事なシーンだったら、僕と相手役とダレンの3人だけで個室で稽古したり。ディスカッションをしながら、一個ずつ丁寧に組み立てます。ダレンの言葉を信じて演じたら、作品の中ですべての気持ちがつながっていくんです。

山崎育三郎

帝国劇場のような客席数2000の大劇場でも、いわゆるミュージカルっぽいオーバーな表現はしません。ミュージカルのデュエットソングというと、顔を客席に向けて、手を広げて歌ったりしますが、『ミス・サイゴン』ではそういうことは一切なく、ずっと二人で向き合って歌うんです。

「この二人に真実があれば、顔を客席に向けて大げさに歌うよりもずっと深く、二人の愛情がお客様に伝わるんだ」と、今まで言われたことがないような演出を受けました。「映画に出ていると思え、お客様はいないと思って」と言われて臨んだときに、今まで感じたことがない気持ちがたくさん動きました。

『ミス・サイゴン』で一回だけ、客席に霧がかかっているような、お客様がまったく見えない感覚になったことがあるんです。今までたくさんミュージカルの舞台に出ていますが、それが最初で最後の経験でした。

それくらい集中力が高まって作品の世界に入っていくことができたのは、ダレンが導いてくれたからこそ。一つ一つ丁寧に演出を作ってくれたから、お客様の前で演じているという感覚でなく、自分がベトナム戦争の中で生きるアメリカ兵クリスでいられたんです。

筋トレもして体を鍛え上げて、丁寧に作っていった記憶

山崎育三郎

――山崎さんは『THE MUSICAL CONCERT at IMPERIAL THEATRE』で『ミス・サイゴン』のクリスのナンバー、『神よ何故?(WHY GOD WHY?)』を歌いましたが、コンサートで1曲披露するなどというものでは全然なくて、まるでその場にクリスが現れたかのようでした。歌でありながら台詞のように、彼の焦燥もキムへの思いもダイレクトに伝わってきて圧倒されました。

久しぶりに帝劇で歌いましたが、メロディが流れるとダレンのメッセージやそのときの空気、当時見えてたものがブワーっと浮かんでくるところがあって。歌を歌うという感覚ではなくて、芝居をしている感覚でしたね。

山崎育三郎

――それまで何度も『ミス・サイゴン』を観てきましたが、山崎さんがクリスを演じているのを見たとき、初めて「この物語が終わった後、クリスはどうやって生きていくんだろう」と考えたんです。それくらい、クリスの生き方にリアリティがあったんですね。山崎さんはクリスをどう捉えていましたか?

クリスは、ヒーローでも王子様でもない。すごく純粋な人だったんだと思いますね。ベトナム戦争に対して疑問に思うところがあって、正直に生きていた人だと思う。僕はアメリカに留学していたことがあるので、アメリカ人の男の子の感覚が理解できるところがあるんですが、国民性としても自分の感情をまっすぐにぶつけていくんですね。彼が生きてきた人生の中での葛藤は真実だけれど、作品全体を通すと決してクリスには同情できないと思います。

『神よ、何故?』はただのラブソングではない。神様に対して中指を立てるようにして「どうしてキムと出会わせたんだ」と激しい思いをぶつける歌なんです。立ち居振る舞いも歩き方もすごく研究して、アメリカの兵隊だから筋トレもして体を鍛え上げて、丁寧に作っていった記憶があります。

ラストは銃で自分自身を撃ったキムをクリスが抱きしめて終わるんですが、僕が受けた演出では、クリスは軍隊にいた人間だから、キムがもう助からないのはわかっている。だから、キムの苦しみが長引かないよう、その死が早まるように、強く抱きしめていたんです。

山崎育三郎

――そうだったんですか……。

観ている方は誰もわからなかったかもしれないけれど、そこまで芝居を突き詰めていたんです。自分の愛する人の命を、自分の手で終わらせる……苛酷すぎますよね。最後「キムーー!」と絶叫して終わるんですが、カーテンコールでも役に入り込んで過呼吸のようになっていました。

本当にみんな、毎日命がけで公演をやっていたので、ダレンもキャストの心のケアを心配していました。「公演が終わったら、お笑いでも見て。ミュージカルのことは一切考えたらだめだ」と言っていました。みんな、追い込まれるくらい集中して演じていた。ダレンからは作品との向き合い方を教わりました。今でも、ドラマをやっているときでも、ダレンの言葉が浮かぶときがあります。それくらい、大きな出会いでした。                                

帝劇のセンターに立ったときの感覚は忘れられない――『モーツァルト!』ヴォルフガング役

山崎育三郎

――そして、山崎さんの“核”を作ったミュージカル、3作品目は?

『モーツァルト!』です。

『モーツァルト!』

5歳にして作曲の才が花開いたヴォルフガング・モーツァルトは、"奇跡の子"と呼ばれていた。青年になってからも故郷ザルツブルクで音楽活動を続けていたが、領主のコロレド大司教に仕えて作曲をすることに嫌気がさしていた。「大司教に逆らうな」という父と意見が衝突。ついに自分を束縛する大司教に、怒りを爆発させてしまう。日本初演は2002年。

                              

――天才ヴォルフガング・モーツァルトの半生を描いた作品で、山崎さんはこの作品で初めて、帝国劇場で主演を務めました。

自分にとってヴォルフガングは憧れの役で、いつかは演じたいと思っていた役でした。21歳でマリウス役を演じて、2年後の23歳でヴォルフガングが決まって。技術的にも精神的にも帝国劇場で主演を張るところまで達していないのが自分でわかっていたし、本当に追い込まれながら演じた作品です。

23歳で帝国劇場のセンターに立って、市村正親さん、山口祐一郎さん、涼風真世さんという大スターをバックに自分がカーテンコールを終わらせる。自分にできるのかと、本当に震えました。20代のときはずっと追い込まれる状態に自分を置いていた気がします。マリウス役もそうでしたが、自分が足りていないところに身を置いて、しがみついてもやるという繰り返し。

山崎育三郎

帝劇のセンターに立ったときの感覚は忘れられないです。自分が主演でない立場で出演するのと、主演とでは大違い。「今まで帝劇で主演された方々はこんな大変なことをやっていらっしゃったんだ」と心から尊敬しました。森光子さんや松本白鸚さんをはじめ数々の名優が立ってきた帝国劇場のセンターに、ミュージカルデビューして数年の自分が立ったのは、今考えても信じられません。

初めてヴォルフガングを演じたのが23歳で、今、僕は34歳。一番長く一つの役を演じさせていただいているのが『モーツァルト!』です。この10年の自分の変化を、ヴォルフガングを通して感じています。

ヴォルフガングを演じた初日、あばら骨にひびが入る大けがをしてしまったこともあって、いろんなことが重なり追い込まれていきました。でも、それ以降の仕事では、『モーツァルト!』初主演のとき以上に怖いことはないですね。

山崎育三郎

――ヴォルフガングを演じたことが、そこまで大きな経験になったのはどうしてでしょうか。

ヴォルフガングは基本出ずっぱりですし、どのミュージカルの楽曲よりも一番音域が広いので歌も大変なんです。でも、何より「帝国劇場を引っ張っていく」ということですね。

2018年に行われた『モーツァルト!』製作発表会見の模様 歌声も披露

――2010年-11年、2014年-15年、2018年と演じた『モーツァルト!』ですが、ご自分では成長の手ごたえを感じていらっしゃいますか?

成長というか、23歳のときと比べると、今は舞台にスッと立っていられる感覚があるんです。でも逆に言うと、初めて出演したときにしか出せないものもあった。だから、何がいいとか悪いとかはなくて、そのときの自分が反映されるものだなと思うんです。

観てくださる方がいて、自分は成り立っている

山崎育三郎

――今、テレビでミュージカルのことが取り上げられ、多くの方がミュージカルに注目するようになったのも、山崎さんが事あるごとにミュージカル愛を語ってくださったことが大きいと思います。山崎さんご自身がミュージカルに教わった大切なこととは、何でしょうか。

そうですね……お客様の存在でしょうか。お客様がいらっしゃるからこそ、僕たちの仕事が成立している。数千円から1万円以上もする高額のチケット代をお客様が払って、時間を作って観に来てくださるんです。

コロナ禍の今は「密」対策のためできませんが、ミュージカルでは観終わった後にお客様が出待ちをしてくださる文化があって。初めは「今日、ファンになりました」という3人の方に握手をしたのが、5人、10人、100人、500人と増えていって。最高で2時間半かけて、出待ちのお客様と握手しました。

僕はテレビ育ちではないから、お客様の存在がいまだに一番大事なんですよ。観てくださる方がいて、自分は成り立っている。テレビに出ているときも同じで、視聴者の皆さんという意識は必ず持っているし、自分だけでやっている感じはまったくない。テレビを観てくださっている方に対する感謝の気持ちが常にあるのは、舞台で生きてきたからなんです。

そして、チームという感覚。ドラマでもチームで一つの作品を作っているという感覚が持てるのは、舞台育ちだからだと思いますね。

山崎育三郎『シラナイヨ』ワニブックス刊

山崎育三郎『シラナイヨ』ワニブックス刊
――今回、山崎さんの“核”を作ったミュージカル3本を熱く語っていただきましたが、山崎さんが2016年の30歳のときに出版した自叙伝『シラナイヨ』(ワニブックス刊)にはその3作品を含めて、山崎さんのミュージカル愛と軌跡がぎっしりと詰まっています。9月10日には電子書籍化されました。

タイトルの『シラナイヨ』は祖父の口癖なんですけど、“育三郎にこんな過去があったのか……”と、皆さんに楽しんでいただける内容になっていると思います。

バラエティー番組では「ミュージカル界のプリンスです」と言ったり、朝ドラ『エール』でもキラキラの役を演じたりしていますが、そういうところだけではない、もう一つの山崎育三郎の物語をこの『シラナイヨ』で知っていただけると思います。

写真も多いですし、井上芳雄さんや浦井健治くんたちからのメッセージも載っています。スマートフォンなどに入れていただいたら、どこででも読めますので、ぜひ気軽に覗いてみていただけたらと思います。

 

スペシャル動画

 

プロフィール

山崎育三郎

山崎育三郎(やまざき・いくさぶろう)

1986年1月18日生まれ、東京都出身。幼稚園の頃に観た『アニー』がきっかけでミュージカルに興味を持ち、12歳のときに受けた小椋佳さん企画のアルゴミュージカル『フラワー』で主役デビュー。東京音楽大学在学中、『レ・ミゼラブル』日本上演20周年記念公演のオーディションで念願のマリウス役に抜てきされる。2010年には『モーツァルト!』で帝国劇場初主演を務め、第36回菊田一夫演劇賞・演劇賞を受賞。近年はTBS系『下町ロケット』(2015年)など、テレビドラマにも活躍の場を広げ、現在はNHK連続テレビ小説『エール』、日本テレビ系『私たちはどうかしている』に出演中。9月10日には、2016年に発売された初の自叙伝『シラナイヨ』(ワニブックス)が電子書籍化された。

 

■関連記事■

 

 

 

この記事について
俳優・歌手・芸人・タレントらの趣味嗜好を深堀りしつつ、ファンの「好き」を応援。
この記事は、LINE初の総合エンタメメディア「Fanthology!」とオリコンNewSの共同企画です。今後、さらに気になる人の「これまで」と「これから」をお届けしていきます。
ORICON NEWS